人を疑う
人を疑う行為って疲れますよね。
この間初めて疑うことをして学んだことです。
え、遅いって?
そうなんです。大学4年にして初めて疑うことをしました。
今までは守られて育ったんですね、疑うなんてことをして生きなくてよかった。それが、人間関係やら、仕事やら、なんやらで疑うことをしました。
そして、気づいたこと。
人は本音で話していないこと。
うーん、つらい。幸せに育ってきたツケが回ってきましたね。私は本音でしか話してこなかったから、みんなも本音で話してくれていると思ってました。ついこの間まで。
ただね、本音で話してくれる相手なんてごくわずかしかいないんですね。とてもショック。私は少なからず本音で話していた。のに、相手は私に合わせてくれていた?すごく滑稽ですよね。バカにされてる感、ありますよね。いや、バカにしている気なんてさらさらないのはわかってます。ただ、こっちからしてみれば手のひらでころころ回してたんだなって思いますよ。
そこで考えました。
なんで本音で話さないのか。
話しがつまらないから?飽きたから?嫌いだから?早く終わって欲しいから?
どれも違います。
答えは、嫌われるのが嫌だからです。
ふぁー。嫌われたっていいのに。友だち多いののどこがいいのか私にはわからない。
上っ面の友だち、つまり本音で話せないあるいは本音で話してくれない友だち300人と
親友、つまり本音で何でも話せる友だち5人。
どっちが価値ある?どう考えても5人でしょ。嫌われないのってそんなに大事?って思います。嫌われても本音で話してたら向き合ってくれてるんだなって思いますもん。
ただ、一つだけ!
社会人の本音はめんどくさいし、仕事関連の本音は別ね。お金もらってやってるんだから、愚痴は心の中にしまっておいてって思う。文句を言うんだったら仕事やめろ!って話しですよ。うん。わかります?
今日感じたことでした。
以上!!